苗字でお勉強 

以前読んだ「人名の世界地図」(文春新書)によると、あの有名な作曲家バッハ(Johann Sebastian Bach)の苗字の部分バッハ(Bach)は、ドイツ語で「小川」という意味だという。なぁ~んだ、小川さんなのか。日本でもヨーロッパでも似たようなものなのね、と思ったものだ。さらに読み進めると、欧米人の苗字には、中世の職業名に由来する名前が多いということがわかる。お馴染みのカーペンター(Carpenter=大工)の他にも
 スミス(Smith=鍛冶屋)
 ミラー(Miller=粉屋)
 テイラー(Taylor=仕立て屋)など。
英語名で表記しましたが、スミス(Smith)がドイツだとシュミットシュミッツ、イタリアでフェラーロ、ハンガリーでコヴァーチという具合に変化する。
4896948599.01._PE_SCMZZZZZZZ_[1].jpg今日読み始めたシャルル・レジェ著「バラの画家ルドゥテ」(八坂書房)。冒頭でルドゥテ(Pierre-Joseph Redouté)の苗字の由来について語られています。(ルドゥテについて書いた過去の記事バラとコミックの関係
何でも先祖は騎士だったとか。

redoute5.jpgルドゥテ(Redouté)は、フランス語の名詞ルドゥトゥ(redoute=方形堡、やぐら)に由来し、騎士ならでは、戦いに付き物の”やぐら”から苗字ができたということだ。辞書で調べてみると動詞ルドゥテ(redouter)は、~を恐れる、危惧する、懸念するという意味のようです。形容詞のredoutable=恐ろしい。redouteからreをとったdouteは英語のdoubtにあたり、疑い、疑念、迷いという意味になります。

フランス語に興味のない方には退屈だったでしょうか?ではこちらはいかがですか? 2368181650[1].jpgサッカーファンならずともご存じであろうイタリア人サッカー審判のピエルルイージ・コッリーナ氏(45歳)。ACミランのメインスポンサーであるオペル社と結んだ、年間80万ユーロ(約1億1000万円)のスポンサー契約をイタリア審判協会が問題視し、コッリーナ氏はセリエAでの活動を禁じられ、遂にイタリア審判協会に辞表を提出したことを会見で明らかにしたとか。その苗字コッリーナはcollina=丘、小山です。丘さん、本当にやめちゃうの?

[追記]2008年5月17日(土)~6月15日(土)Bunkamuraのザ・ミュージアムで
ルドゥーテ生誕250年記念「薔薇空間」展が開催されます。詳細は
 ・こちら薔薇空間とカンヌ映画祭、華やかなる週末(幸せをくれるテディベア)
FC2 Blog Ranking

日記日記

好きなもの 

i2[1].gif秋の日の ヴィオロンの ため息の…」これは19世紀フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌ(Paul Verlaine)の詩の一節ですが、上田敏氏のこの名訳を、毎年秋になると思い出します。

私は「」というものに興味も関心もあまりなく、学生時代、文学少女の友人たちが「萩原朔太郎が好きだ」とか「中原中也のほうが好き」なんてことを話題にしていても「???」で、いったいこんな詩のどこがいいの?しかもこんな昔の人たちの?という感じでしたが、ヴェルレーヌのこの冒頭の1フレーズはとても好きです。その後に続く言葉はすっかり忘れて、また、それを知りたいとも思わず、秋の到来と共に、このフレーズを心の中で繰り返すのです。私にとって大切なのは、詩の本来の意味やヴェルレーヌの気持ちではなく、言葉の美しさと、言葉が醸し出す”秋のおセンチな雰囲気”なのですから。そしてなぜか私のイメージでは、BGMはヴァイオリンではなくチェロ。

batx1.jpg私には、もう一つ好きな詩があります。

てふてふが一匹韃靼海峡(だったんかいきょう)を渡って行った。

」と題する安西冬衛の詩です。韃靼海峡(だったんかいきょう)、つまり間宮海峡を渡っていく一匹の蝶々。この詩はたしか、小学校か中学校の国語の教科書に載っていたもので、その勇ましい蝶々の挿絵も載っていたかと思います。

あの か弱い蝶々が果たして海峡を渡りきれたのか?私は渡れたと思いたい。いや、渡れたはずだ。海峡の先にあるはずの陸地が見えなくても、海に向かって飛び立つ勇気を持ち、必死に羽を動かして、着けないはずがない。


FC2 Blog Ranking

ひとりごと日記

風のように~ 

日常会話ではあまり使わないものの、本や歌詞の中で頻繁に使われるし、また、外国語の勉強をしていると度々出てきて、日本の感覚との違いに唖然とすることもある比喩的表現4338169036.jpg例えば、イタリア語やフランス語で使われている「ゾウのように記憶力のいい」という表現。言われてみればそうだろうが、ゾウという動物を、大きくて鼻が長い動物以上のものとしてあまり見てこなかった日本人にとっては、新鮮な表現だ。

何年か前に、イタリア語の歌詞の中に、素敵な表現をみつけた。
Libero come il vento(風のように自由に

65.jpg
それまで風を自由だと感じたことはなかったが、確かに風を擬人化すると、気ままで、好きな時好きな所へ行けそうな雰囲気がある。19世紀のフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌはたしか、放浪の旅の同行者にして恋愛の対象だったアルチュール・ランボーを「風の靴を履いた男」と例えていたとか。風のように自由で気ままで、いつどこへ行ってしまうかもわからない~という意味なのか?

ところで、「風が吹く」をイタリア語で言う場合、<tirare>という動詞を使う。
この<tirare>は、引く引っ張るが主な意味で、風が吹くの「吹く」がなぜtirareなのかピンとこない。Tiramisu_en.jpg

ちなみに、イタリアのデザート人気ナンバー1のティラミスはtiramisùと書き、もともとは「私を上に引き上げて」つまり「私を元気付けて」という意味なのだ。

こんなに楽しみながらだと、外国語学習も苦ではなくなってくる。
FC2 Blog Ranking

つぶやき。日記