サガンを観たい~その2 

サガンを観たい~その1の続きです。

悲しみよこんにちは」とは、いったいどんな悲しみ、悲劇が語られていくのだろうかと、期待をしながら読み始めました。ところが、展開していくストーリーは、私が期待していた悲しみ:宿命的で、深刻で、どうしようもなく不幸で…、とは異質のものでした。
主人公セシルは恵まれた環境にいて、気まぐれで、どこか投げやりで、でも普通の感覚を持った十代の女の子。正直、拍子抜けしました。

しかし、読み進めていくうちに私が見つけたものは、

心の中の孤独という名の悲しみ。
本物の愛に飢えた悲しみ。
悔恨という悲しみ。

本を読み終わって、「大変感動した」とか、「すばらしい作品だ」などとは私はちっとも思わなかった。ただ、セシルの気持ちが、手に取るようにわかる、と思ったのです。それはイコール「すばらしい作品」ということなんでしょうが、当時の私にはそれがわかっていなかった。

「悲しみよこんにちは」を読んだ後しばらくして、ある日、本屋で本を物色している時に「ある微笑」に手を伸ばし、その後さらに「ブラームスはお好き」と、いつの間にか立て続けにサガンの作品を読んでいる自分。その時になってやっと、自分はサガンという作家が好きなんだ、と自覚したのです。


2004年、サガンの訃報を新聞で知りました。虚を突かれた私は、自分の中に悲しみが広がって来るのを感じました。
逝ってしまったんだ。

その年だったか?あるいは翌年だろうか?NHKのBSで、作家 瀬戸内寂聴さんが、サガンの思い出の地を訪ねる。という番組を放送しました。私はその番組をDVDに録画し、編集し、特に印象的だった部分だけを保存してあるんです。

今回、その番組を見直してみました。

     つづく



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コメント

そうそう!

年がら年中、オルサさんのところで「そうそう!」といっている私です(笑)
私もやっぱり「ン?どこが悲しみよこんにちはなの??」と、先ず思いました。
そして、いつしか、サガン=雨の日になったことをギモンに思ったところで、やっと理解に至った…と言う感じでしょうか。心の中の悲しみが雨になったかなと。
サガンって、不思議ですね。
するっと、私たちの心に入り込んで、住み着いている。そんな感じです。
ああ、サガン日和になってきましたよ。今日のお天気!

碧さん

確か、サガン=雨の日コメントを頂いた翌日、それまで晴天続きだったのに雨が降りました。まるで誰かさんが、碧さんにサガンを読めって催促しているみたい!って思っていたところです。
そして、記事をアップした後、その日の夕方にも不思議なことが起こっていたのです。読売新聞の夕刊を広げてみると、青少年に本を紹介する欄で「悲しみよこんにちは」が取り上げられていたのです。こんなことってあるんですね。

碧さんの「そうそう!」、実は私、最近ではそれを期待しながら書いているんですよ。

少女

サガンは「悲しみよ こんにちは」しか読んでないんですが(なんでかな。その後、サガンには手が伸びなかったんですよね・・)、少女セシルの心模様は、私も鮮明に覚えてます。

自分が一番自分の残酷さを知っている。沁み出でてくる悲しみを、どこの水に流そうか・・。そんなことを考えながら(若いときに!)読みました。チクチクしました。

また読みたくなってきました。探してみまーす!

ケトルさん

記事を書くにあたって、サガンの本を引っ張り出してきて、拾い読みしたのですが、「悲しみよこんにちは」の内容はしっかり覚えていたにもかかわらず、不思議なことにあとの2冊はほとんど忘れていました。「ある微笑」に至っては、どのページを開いても、読んだ記憶が全く蘇らない。この作品に限っては、当時の私は、感情移入ができなかったのかもしれませんね。

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