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お門違いのサービスで鼻骨が痛い! 

最近近眼の度が進み、テレビの文字やクイズ番組で出題される画像が見えづらくなってきたので、メガネのレンズを替えることにしたんです。そこで、某大手安売りメガネショップへ。過去この店で、レンズ交換や度入りサングラスを作ったことがありました。相当昔のことですが。

視力測定をしてもらい、どのレンズにするか熟考し、セレクトし、お会計も済ませ…、問題なくレンズの注文ができたのですが、途中、ちょっと気になることが。

現在使っているメガネは、鼻当ても、耳あても、自分の顔に丁度よくフィットしているのですが、
担当者が「ネジが緩んでいたので、締めておきました。」
と言うのです。
気を利かせてやってくれたのでしょう
手で確かめると、確かにテンプル(ツル)の開閉がしづらく硬くなっています。
鼻当てもネジを締めたそうですが、掛けた感じでは、特に違いが判りませんでした。

ところが、帰宅後に、時間がたつうち いつもは痛まない鼻骨の側面部が、やや痛み始めました。メガネをはずして鏡で見ると、鼻当ての跡がくっきりとついてしまっています。きつ過ぎるのです。

翌朝、右側の首が凝っていて、腕も動かしづらくなっていました。
ただ、首凝りは度々おこるので、原因がメガネかどうかはわかりません。

メガネを掛けてみると、鼻骨の右側に当たって痛いです。鏡でメガネを掛けた自分の顔を確認すると、明らかに右側だけ食いこんでいるように見えます。そこで、メガネを少し動かして、痛みが感じないように置いてみるのですが、何度やっても、どうしても右側だけ圧迫されています。

レンズが仕上がってくるのは1週間後なので、その日までこの痛みを我慢するのか?
と想像すると、ぞっとします。
それで、鼻当てを調整してもらおうと、再びメガネショップへ出かけました。

前日に担当してくれた店員は接客中で、他の店員が対応してくれ、鼻当てを調整してくれました。
何度か微調整をし、鼻との接触面を小さくしたようです。

その場では、痛みが軽減した感じでした。
ところが、やはり時間がたつと、今度は両側の鼻骨が痛みます。
そして仕舞には、メガネを掛けていられないほどの違和感を感じるように。
メガネをはずしておいたのですが、鼻骨の痛みがいつまでたっても消えない…

気分が悪くなってきて、集中して何かをすることができなくなり、食事を済ませてベッドへ直行。
少し体を横にしていたら、次第に鼻の痛みもなくなってきました。

こんな状態になるのなら、このメガネを二度と掛けたくありません。
私は中学生の頃からメガネを使っていますが、これほどの痛み、しかも鼻骨の痛みは初めてです。
レンズができてきて、このフレームに付けてもらったら、
すぐにでもまともな眼鏡店に足を運び、フィッティングをしていただこうと思っています。

こういう事態に陥って初めて、安売りメガネショップは信用できないな、と思いました。
今考えると、持ち主の意志も確かめず、勝手にメガネのフレームの調整をしてしまうとは、何と身勝手な、お門違いなサービスなのでしょう。しかも、ネジを締めた後、メガネを掛けたお客(私)にその姿を鏡で見せて、調整具合を確かめさせる、というようなこともしていませんでした。本来ならば、するべきだと思いますが。
微調整をしてもらいに再度行った時には、私が「鏡を見せてほしい」とリクエストしてやっと鏡が出てきました。
接客態度はそこそこ良い店で、店を後にする際には、担当した店員が出入口までお見送りをしてくれるのですが、
私が欲しいているサービス、眼鏡店に求めるサービスは、そういう表面的なことでは決してありません。
確かな技術、満足できるメガネのフィット感。安心感です。

値段の安さに釣られて、安売り店に行った私の自業自得なのでしょうか?


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古典が苦手が私が、なぜイタリア古典文学を読み始めたか 

  • [2013/03/02 15:31]
かつては「○○古典文学」、「古典○○」という文字が目に入ると、スルーしてしまい、
歌舞伎や文楽、能といった いわゆる日本の古典芸能も、その舞台が醸し出す独特の雰囲気や衣装、役者に興味がありつつも、テレビで劇場中継を見始めると、演者の言葉が十分には理解できない、あるいは相当な集中を要すことからストレスが溜まり、次第に飽きてきてしまうというほど
古典が苦手な私。

文語体の小説を読むのはどうにかできるものの、日本の古典文学作品には、まるで食指が動きません。

しかし一方で、ギリシャ神話は面白いと思いますし、以前記事にしたように、ラテン語には、少なからず興味があります。
「古典」も、意味さえきちんとわかれば、好きなのです。

それでも、現代イタリア文学作品よりも日本ではむしろ知名度の高いイタリア古典文学作品
ダンテの「神曲」
ボッカッチョ「デカメロン」などを
読破してみよう、と思う機会が何度かありながら、実行するまでに至りませんでした。そこには、やはり、古文や古典への苦手意識があるからなのでしょうか?あくまでもダメなのは日本の古文、特に聴くのが苦手なんですが。

昨年のことです。iTunesソフトが、デザインや機能を一新し、プレイリストの作り方や表示などがずいぶんと変わりました。それで、いろいろ試して、いつもは表示させない管理画面(アカウント情報だったかな?)などを見ていくうちに、以前使っていたパソコンで購入した曲のデータが残っているのを発見。
今更ながらなんですが、1つの曲を、2台のパソコンで聴けるんですね。初めて知りました。

いったいいつ購入したのか記憶がまるで無い
イタリアのメゾソプラノ歌手 
チェチーリア・バルトリ(Cecilia Bartoli)

アルバム『Art of Cecilia Bartoli』に収録されている数曲も復活しました。
最初の曲が、あの有名な「泣かせてください(Lascia ch'io pianga)」



今やCMやドラマ、旅番組などで頻繁に流れる曲ですが、1980年代に
キャスリーン・バトル(Kathleen Battle)のアルバムを購入し、その中に収録されていたお気に入りの一曲で、頻繁に聴いていた記憶があります。

作曲したのがヘンデルだということは以前から知っていましたが、
ではいったい何というオペラのアリアなのだろう?

それをWikiで調べたのが、全ての始まりです

ヘンデルのオペラ『リナルド』、原作は

タッソの『エルサレム解放

第一次十字軍遠征におけるキリスト教軍とイスラム教軍による壮絶な戦いと悲恋の物語ですが、その内容もさることながら、ルネサンスからバロックへの移行期にあたる16世紀後期のイタリアに生きた作者タッソの数奇な人生(7年間もの幽閉やその前後の流浪など)を本の解説で知り、そのタッソに影響を与え、当時文学を志す者全てが一度は読み、さらに絵画や彫刻ほか多くの芸術作品の題材になっている他のイタリア古典文学作品へと、興味が広がりました。

ダンテの『神曲


ボッカッチョの『デカメロン


ペトラルカの『カンツォニエーレ


アリオストの『狂えるオルランド

この4作品の内、『神曲』は読み終わり、今は『狂えるオルランド』を読んでいます。

狂えるオルランド』は、すでに読み終えた2作品よりも遥かに面白い。訳者の腕もあるのでしょうが、視覚的表現が多くてイメージしやすく、話の展開も、古典にありがちな稚拙さ、単調さをさほど感じません。

 ・過去の記事思い立ってラテン語
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